今日のブログはちょっと長いです。
トイレに行きたい方は先に済ませてください!笑
現在、私は酒蔵の仕事をしながら義父と義母のお世話をしています。
義父は、歳の割にはとてもしっかりしているので、朝昼晩の食事の支度や細々とした注文に応えるくらいで介護するほどはなくて喜んでいます。
でも元気すぎてデイサービスには行かないので365日のお世話になります。
義母は認知で要介護3。
施設で大切にお世話してもらっているので助かっています。
週に2回洗濯物の交換に行くくらいなので、本当にありがたいなぁと思っています。
でももう私の名前は忘れているようです。
実家の両親は現在静岡に住んでいます。
2人とも高齢で、父は週3回の透析。
でもまだ自分の運転で病院に通っています。
母は軽い認知症状が出てきて父が老老介護しながら週1回のデイサービスを利用しています。
二人暮らしも限界があると思い、今年の5月くらいに長浜の方に引っ越すように説得して長浜で送迎をしてもらえる病院にお願いしていましたが、間際になってまだ帰れないと言い出しました。
でもガンとして引かないので、仕方なくそのままで様子を見ることにしました。
そして1週間前、父から電話がかかってきました。
身体の具合が悪いので入院をしなければいけなくなったので、お母さんのことをなんとかしないといけないということでした。
母のお世話になっているケアマネさんからも電話がかかってきました。
母を1人で置いておくのは少し無理なような気がするとのことでした。
母は、トイレも1人で行けるし、父の食事も作っています。
でも片付けができないことと、物忘れが酷くなってきたことと、昔から難聴気味だったので電話の音が聞こえなかったり話していても聞き取れなかったり。
そんな中で父の入院だったので、東京に住む妹が息子と2人で様子を見に来てくれました。
ケアマネさんがいう通り1人で暮らすのは無理なのか、妹の目で見てきて欲しいと頼みました。
それからも父の頑固さから金曜日からの入院予定がまた延びて7月3日昨日の入院になりました。
本人は1週間程度の入院で帰ってくるつもりをしていましたが、足が浮腫んでいて心臓にも負担がかかっているということで1ヶ月くらいの入院になりました。
さて、その間母をどうしようかと思いましたが、父は病状が安定したら母と一緒に長浜に帰るから、それまではこのまま静岡に住みたいと言います。
母も1人でここで暮らしながら父を待つと言って聞きません。
妹とも相談して、デイサービスを利用してもらいながら様子を見ようということになりました。
妹も仕事があるので4日に母をデイサービスに送り出してから東京に戻る予定でした。
ところが朝、私に妹から電話がかかってきました。
母の元に行くと今朝は起きてこず、頭がフラフラすると言って寝ていて、デイサービスの利用も無理そうとのこと。
妹も仕事があってそのまま病院に連れて行くこともできず、困って電話をかけてきたのでした。
暑い部屋に冷房もせず、扇風機もかけずに寝ていたので熱中症になりかけたのではないかと思いました。
とにかく落ち着いて、ケアマネさんと相談して、取り敢えず母をショートステイのできる施設で預かってもらうことになりました。
ところがところが、今度は母が無理やり知らないところへ連れて行かれたと言って泣いて父に電話したそうです。
父から私に電話がかかってきて「わしが今から病院を一時退院してお母さんを施設に迎えに行く」といい出しました。
それから1時間、父を電話で説得。
今、一番母が安全で安心できるところはどこなのかと言い聞かせました。
しかし、父は母から泣きながら電話してきたので心配で心配で堪らないと言います。
もうわしらのことは放っておいてくれ!
あんたらには迷惑かけん!
との一点張り。
迷惑って、なんかあったらもっと迷惑かかるのに。
あんまり言うことを聞かないので、私は
「わかった!なら私が今すぐ新幹線でそっちへ行くわ。
木之本の店は閉めて、山路の家には悪いけど私がそっちに行ってお父さんとお母さんの面倒を見ながら残りの人生はそっちで暮らすわ」と言いました。
父は、「それだけはやめてくれ!
こっちに来てもわしは受け入れん!」と。
「受け入れてもらわなくても勝手に行くわ」と。
そんなやりとりが続きました。
少し考え直したようで、お母さんには何が今必要かと言うことをもう一度話すと父も「わかった、お母さんはそのまま施設に預かってもらう」と言いました。
ただし、お母さんが納得したという言葉を言ったらという条件付きです。
その後、義母の施設に洗濯物を撮りに行った時に実母から電話がかかってきました。
しかも泣きながら。
そこでまたゆっくりと話してお父さんが心配してたこと。
お父さんの身体を治すのが先決だと言う事。
それまで少しだけ我慢して欲しいと言いました。
近くにいたヘルパーの方にも電話を代わってもらって、様子などを聞き母の着替えなどは私が買って施設まで送るということにしました。
そんなやりとりの中で、母も落ち着いてきたので「もう父に泣きながら電話したらあかんよ」と諭しました。
「お父さんがゆっくり病気を治せなかったらもっと悲しいやろ」と言い聞かせました。
そうして話しているうちに母も落ち着いて笑い声も出るようになりました。
ここの人によくしてもらってるという感謝の言葉も出てきました。
帰ってから義父の晩ご飯を作りながら今度は実父に電話。
お落ち着いた母の様子や、そこでお父さんの治療が治るのを待つという母の気持ちを伝えると父も納得してくれました。
歳をとるとこれだけ頑固になるのかと改めて
その大変さが身に沁みました。
96歳を筆頭に93歳、91歳、87歳。
もう1人も2人も3人も4人も全部まとめてかかってきんしゃい(≧∀≦)
今回、うちの方のケアマネさんや包括支援センターの方や義母を預かってもらっている施設のセンター長さんや地域連携の部署におられる昔馴染みの頼れるブログ仲間の方なとに親身になって相談に乗ってもらい、また静岡の方のケアマネさんやお世話になっている施設のスタッフの方々のお陰でなんとか乗り切れた1週間でした。
まだこれからが大変だと思いますが、取り敢えず今回強く感じたこと、それは…
老いては子に従え!という言葉がピッタリ来るってことかなε-(´∀`; )