荷出し
2023年08月31日
色々とやることが山積みですが、9月6日から阪急百貨店うめだ本店での催事に向けて、荷物の発送をしました。
暑い暑い作業場での仕事は、いつも保冷剤を巻いた首タオル無しではいられません。
暑い中、西濃運輸さんが荷物を集荷に来てくれました。
本当にありがたい。
息子と同い年のムキムキマッチョなドライバーさんが軽々と酒を積んでくれます。

お酒は一足早く出発しました。

今回は色々とスケジュールが押してます。
まだダイレクトメールが書けませ〜ん(^◇^;)
請求書の締めも、今日までに返事をしなくてはならないメールや書類もいっぱい

空には8月2回目の満月
ブルームーンを見ながらもう一踏ん張り頑張ります。
暑い暑い作業場での仕事は、いつも保冷剤を巻いた首タオル無しではいられません。
暑い中、西濃運輸さんが荷物を集荷に来てくれました。
本当にありがたい。
息子と同い年のムキムキマッチョなドライバーさんが軽々と酒を積んでくれます。

お酒は一足早く出発しました。

今回は色々とスケジュールが押してます。
まだダイレクトメールが書けませ〜ん(^◇^;)
請求書の締めも、今日までに返事をしなくてはならないメールや書類もいっぱい

空には8月2回目の満月
ブルームーンを見ながらもう一踏ん張り頑張ります。
存在
2023年08月25日
長い間ブログが書けませんでした。
7月になってから色々なことが重なりました。
実家の父の入院に続いて木之本の父の入院。
実母の引き取り介護。
そして入院していた木之本の父が盆前の11日に天国へと旅立ちました。
最後まで意識ははっきりしていました。
7月の10日に入院してから、毎日ほど私の携帯に電話がかかって来ていました。
「もう退院するから洋服と病院に支払いするから財布を持ってきてくれ」
「ご飯食べてるところの左側の棚の鋏と髭剃りを持って来てくれ」
院内も相変わらず歩いていて、筋力が衰えないようにしているじいちゃん
貧血が酷かったので輸血をしていましたが、輸血するとまた元気になっての繰り返しでした。
本人は家に帰りたい願望が強かったので12日には一時帰宅させてもらえるように頼んでありました。
亡くなる少し前の朝の6時ごろ電話がかかってきて「喉が乾いた!わしの冷蔵庫に入っているジュースを持って来てくれ」と。
絶食状態だったのですが、こっそりジュース(つぶつぶアレンジ)とお茶を持って行きました。
この時何故か私まで喉がカラカラでした。
父に飲ませると
「うまい!生き返った」と嬉しそうに言ってました。
「今度は違う銘柄のジュースを平和堂で買って来てくれ」とじいちゃん
買うスーパーまで指定か!笑
絶食になって3日ほどは時間があると1日に何度かジュースとお茶を持って行って飲ませました。
何度かお医者様から危ないと言われ、連絡したお姉さんたや孫たちも次々に会いに来てくれました。
会うととても元気なので拍子抜けして帰られることも何度もありました。
介護施設にいる義母も施設の許可をもらってお父さんに会いに行きました。
お父さんは「おぉ〜、来てくれたか!」
「よう連れて来てくれたな」ととても嬉しそうでした。
その時にじいちゃんが一言。
「人生96年…
ようつかえてくれたなぁ」
としみじみと言った言葉が印象的でした。
96年間の人生を振り返っているようでした。
家に帰りたいというじいちゃんを12日には看護師さんもついて来てもらって一時外出する予定をしていましたが、それも叶わず11日に旅立っていきました。
温厚で穏やかで少し頑固な父。
いなくなっても新聞を取りに行ったり、郵便受けを覗きに行ったり、息子に配達のついでに平和堂、コメリ、ドラッグストアに毎日欠かさず行っていた父が声をかけてくるようで
今もなお、存在感を放ち続けています。
ゆうこ〜
ゆうこ〜
と呼ぶ声が今も聞こえます。
父に関わってくださった皆様。
そしてじじネタを楽しみにしていてくださった皆様。
ありがとうございました。
じいちゃんは今も私たちの心の中で生き続けています。
合掌

※写真は新日本紀行に偶然映ってたじいちゃん
7月になってから色々なことが重なりました。
実家の父の入院に続いて木之本の父の入院。
実母の引き取り介護。
そして入院していた木之本の父が盆前の11日に天国へと旅立ちました。
最後まで意識ははっきりしていました。
7月の10日に入院してから、毎日ほど私の携帯に電話がかかって来ていました。
「もう退院するから洋服と病院に支払いするから財布を持ってきてくれ」
「ご飯食べてるところの左側の棚の鋏と髭剃りを持って来てくれ」
院内も相変わらず歩いていて、筋力が衰えないようにしているじいちゃん
貧血が酷かったので輸血をしていましたが、輸血するとまた元気になっての繰り返しでした。
本人は家に帰りたい願望が強かったので12日には一時帰宅させてもらえるように頼んでありました。
亡くなる少し前の朝の6時ごろ電話がかかってきて「喉が乾いた!わしの冷蔵庫に入っているジュースを持って来てくれ」と。
絶食状態だったのですが、こっそりジュース(つぶつぶアレンジ)とお茶を持って行きました。
この時何故か私まで喉がカラカラでした。
父に飲ませると
「うまい!生き返った」と嬉しそうに言ってました。
「今度は違う銘柄のジュースを平和堂で買って来てくれ」とじいちゃん
買うスーパーまで指定か!笑
絶食になって3日ほどは時間があると1日に何度かジュースとお茶を持って行って飲ませました。
何度かお医者様から危ないと言われ、連絡したお姉さんたや孫たちも次々に会いに来てくれました。
会うととても元気なので拍子抜けして帰られることも何度もありました。
介護施設にいる義母も施設の許可をもらってお父さんに会いに行きました。
お父さんは「おぉ〜、来てくれたか!」
「よう連れて来てくれたな」ととても嬉しそうでした。
その時にじいちゃんが一言。
「人生96年…
ようつかえてくれたなぁ」
としみじみと言った言葉が印象的でした。
96年間の人生を振り返っているようでした。
家に帰りたいというじいちゃんを12日には看護師さんもついて来てもらって一時外出する予定をしていましたが、それも叶わず11日に旅立っていきました。
温厚で穏やかで少し頑固な父。
いなくなっても新聞を取りに行ったり、郵便受けを覗きに行ったり、息子に配達のついでに平和堂、コメリ、ドラッグストアに毎日欠かさず行っていた父が声をかけてくるようで
今もなお、存在感を放ち続けています。
ゆうこ〜
ゆうこ〜
と呼ぶ声が今も聞こえます。
父に関わってくださった皆様。
そしてじじネタを楽しみにしていてくださった皆様。
ありがとうございました。
じいちゃんは今も私たちの心の中で生き続けています。
合掌

※写真は新日本紀行に偶然映ってたじいちゃん